詩は志の之(ゆ)く所なり

文人天子として名高い嵯峨天皇の御世〈在位八〇九-八二三〉には漢詩が流行し、多くの漢詩集が勅命によって次々編纂され、漢文学の花が咲いた。このころ唐より帰国した空海は弟子達の求めに応じて弘仁十年(八一九)頃、仏学の余業に詩作の入門書といえる六巻からなる『文鏡秘府論』を書き残している。
唐の時代は、知織階層すべて総詩人と言われるぐらい、詩作が盛んな時代で、定型詩形である律詩、絶句を生んだように、四声を基とした声韻のあり方等についても喧しく議論されていた。唐土にあって、まだ日本に伝えられていなかったさまざまな詩作に関する文献を手にした空海は、その著述の中で新しい詩作論を展開し、唐文化にあこがれる当時の貴族人に大きな影響を与えたことはいうまでもない。
『文鏡秘府論』は音声論より始まるが、その分野は文体、修辞、語彙論等多岐にわたる。第四巻目の「南巻」は中国の歴代の文学論を空海なりに整理し、まとめたものである。その中に、

詩は本(もと)志なり。心に在(あ)るを志と為(な)し、言を発して詩と為る。情、中より動いて言形(あら)はる。然(しか)る後、之を紙に書せむとするなり。
の一文がみえる。これは、詩作についての本質的な考えを示したものである。詩作というのは、心にある志がものに感じて率直に言葉になって発せられ、さらにそれが文字に託され、文章化してまとめられていくものであり、あくまでその根本は人間の精神の表われであると述べられている。
この文は、もともと中国古代における早期の漢詩集『詩経』の大序に出ている言葉である。『詩経』は孔子が儒教の根幹をなす学習書として大いに奨励したもので、人間としての温柔敦厚な生き方や、豊かな感情の志気が鼓舞された内容が多くその中に采られている。
詩席には先の空海の引用文の前に、「詩は志の之(ゆ)く所なり」という語句も見えるが、詩作において、心の発動というもっとも重要な問題が、この古い時代からすでにその根底に据えられていることが分かる。しかも、詩作は、自らを修養し高めるとともに、より多くの人々を教化する大きな役割をも担うものと考えられていたようである。

ところで、空海の詩文については、その豊かな学識により、中国の歴代の文献を巧みに引用しながら語られることが多いが、それも自らの受けとめ方や考え方に立って述べられている。
少し話はそれるが、先述した文章では、「之を書せむとするなり」は空海が付け加えた語句である。また、その後の文中にも、
「律(音階の調子)を以て之を調(ととの)へて定め、然(しか)る後之を紙に書く。」
「心は言に発し、耳に聞き、目に見えて紙に録す。」
「紙筆墨は常に須(すべから)く身に随へて、興(きょう)来たらば即ち録すべし。」
等、詩作とともに、「その詩を書くという言葉が度々出てくる。空海にとって、詩作と書を書くことはきわめて密接な関係と考えていたからであろう。偉大な詩人でもあり、書人でもあった空海にとっては、心の発揚ということでは一体化した世界であったのであろう。
しかし、詩作というものは、書作と同様そう簡単に心の発揚が可能となるものではない。詩人は工夫に工夫を重ねて苦吟の過程を経ることによって琢磨されていくことが、この後の文にも重ねて説かれている。練磨の後、その苦吟の痕跡を残さず、天真の表現が自然に表われる時、本当の詩の美しさが見えるというのである。『文鏡秘府論』はその成立の翌年、さらに分かり易く要約された形の、『文筆眼心抄』となって再登場するが、書作にも通じるすぐれた内容を多く備えた詩論である。

 

2006_11 「書の美」巻頭に寄稿

 

 

 ページトップへ