日本の美(1)

自然さや、素直さを大切にしてきた日本人の性情は、とりもなおさず、簡素なるものを求める特性と密接につながっているようである。さわがしさやわずらわしさを感じさせるような表現は日本人の体質にそぐわないことが多く、どちらかというと、飾りをとりはらってすっきりしたものを求めていく傾向が強かったといえる。

また、日本人は人工を加え、いろいろな要素をふやして積み重ねていこうとするより、必然的な本質だけを大切に高めていこうとする傾向が大変強い。

このことは日本のあらゆる文化や芸術の中ではっきりあらわれている点である。例えば、はなやかな彩色をほどこさず、自然の木肌をそのまま生かしていったいろいろな建築物、色彩を集約して白黒の単一な世界で自然を描いてきた墨絵、あるいは、舞台装置のような表現するための装飾物をことごとくなくして簡素な状態で演技の極限に迫ろうとする能、あるいは、多くの内容を短かいことばの中に集約させてうたいあげる文学における短歌や俳句の形式等……あげればきりがないほど、いろいろな分野でその精神がよく発揮されている。

しかし、簡素なるものを求め、愛好するといっても、美を求める人にとって、ただ原始的な単純さそのものを単に求めようとしたわけではない。豊富な内容や色どりを内にしっかり苞含しながらも、その表現において、できるかぎり簡単な形態をもってその内容を表現しようとしたのである。すべてのことをあますことなく表現しつくしてしまうのではく、本質のみを簡素直截に表現する努力がはらわれたといえる。このためには、多様なものをどんどん洗いおとしていく浄化と、みがきにみがきをかける彫磨の努力がくりかえされたことはいうまでもない。つまりぎりぎりまで洗練の度を加えて深化させた結果生まれてくる単純さをおいもとめているのである。

複雑化することは得てして発達と受け取られることが多い。事実文化の発達にともないあらゆるものは複雑代多様化されてきたといえる。しかし、その反面において、発達とはすべての複雑な要素を複合統一して単純化する一面をも合わせてもっている。このことは原始的な単純さにもどる単純化ではなく、複雑なものを内面で調和統一した結果おこる単純化である。

ものの発達には物質的な面と精神面との二面があるが、物質面ではさておき、さまざまな美を生み出した日本人の精神構造を考えると、この単純化に大きな力点がおかれたことはあきらかで、これが独自な文化や芸術を生み出すことになったといえよう。

 

 

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