日本の美(1)

日本人は昔から、ごく平凡な庶民に至るまで、すべての人間が豊かな美意識をもっていたと多くの人から指摘されている。事実、今日伝承され残存している高尚な様々な文化物を見ても、また日常のごくありふれた器物のようなものを見てもそのことがはっきりうかがえる。感情の趣致に富んだ日本人は、文化や芸術はいうに及ばず、ありとあらゆる時と場合にすばらしい美意識を働かせてきているが、人間と人間をつなぐ人間模様、あるいは、社会を秩序だてるモラルや論理ですら、この美意識から生まれているといえよう。

この日本人の美意識は、考えてみると、肌で感じる感覚が根となって発しているようである。理屈ではなく心に感じたり、肌で感じ取る感性が日本では特に大切にされ、これが美の感得をより高めるとともに、美的表現の重要な原動力となっている。これに比して、西洋では、客観的に分解して対象化できるものが美の対象となる傾向が強く、動物的ともいえる肌で感じとるとらえ方は案外希薄なようである。

日本では、よく職人芸ということが美のあり方として話題にのぼる。職人芸とは、職人や芸人が長い年月をかけて鍛錬に鍛錬を積ねた結果、身をもってつかみ得た高度な技をさしている。この高度な技を得るのは並大抵のことではなく、すぐれた人たちは皆、職人気質といわれる強い気概をもって修業を重ねてきた。しかもこれらは伝統的に、教えられるものではなく、自らの力で先人の跡を見つめていく中で手さぐりで体得していくものだという考えが大変強かった。ここでまた、問題となるのはカン<勘>と一般的にいう人間の感性の働きである。カンを働かせながら試行錯誤でくり返し、1つ1つ着実にカン所を得つつものを生み出していこうとしたのである。カンとは人間の五感<視、聴、嗅、味、触>では感じとれないものを感じとる第六感で、一種の感覚とも能力ともいえるものである。また、あるいはものの悟りともいえるものだろう。これはたゆまぬ修業という経験や実感を通してしか把握できないもので、具体的な言葉で説明のつかない感性の世界なのである。一口に職人芸といっても様々な内容やものの程度があって一概に論じえないが、先述した感性の働きは、生み出す人間の固有の美意識と見事にからまった時、すばらしい美の創造とつながることは歴史的にもはっきり実証されている。

近代、欧米の芸術思潮の波で、日本人の伝統美への見方やとり組みが随分変わっていることは事実である。理論と技術化の弊害はやはり否めないと思う。理屈ではなく肌で感じる美の感得、体得は日本美のとらえ方の要点であるが、ものを生み出す側に立ってもこのことを念頭におきたいものである。

 

 

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