日本の美(1)

日本人の色彩感覚については多少時代によってその推移はあるが、伝統的にはどちらかというとはっきりした原色の生な美を求めないで、もっと柔らかな味わいをもつ中間的な色合いを好んできたようである。これも複雑多様な日本の風土から育まれてきた感覚であろうが、微妙な色の重なりや深まりをむしろ楽しむ傾向が強い。

自然鑑賞においても、鮮やかな松の緑を直接的見るよりも霞のかかった松を讃美したり、霧間に表われる野山をより賞でたりするのもその現われである。

色が重なるということは、悪くいえば色がぼやけたりくすんだり、場合によっては濁ってくることになる。しかし、日本人にとってはそれが反ってより微妙な興趣を助長するこくの深いものとしてとらえられるのである。日本のこの「重ねる」という色彩嗜好は色々な場合に発揮されている。絵画はいうに及ばず、漆芸や陶芸、あるいは衣類における染色等をみてもそのことが顕著である。色を重ねることは、下地の色を常に利かせながら次々色をつみ重ねていくことで、当然秘した部分にも色を持つという微妙な色彩感覚をともなっている。また一方では、色を重ねていくと色が次第に濃くなっていき、見分けのつかない類似の単純な色彩となってしまう。このような状態の中においても、その複雑微妙な色彩を見分けていく感覚が日本人の伝統というより、むしろ微妙な明暗の観念を悟るといった方がよいのかもしれない。単一な白から黒の明暗の世界の中で立体的な美をいろいろな分野で発展させたのもうなずけることである。

また、日本人は色が移ろうという感覚に大変敏感である。時の数位に従って色は変化するものであるが、これをまた一面では色の深まりとしてとらえるのである。日本人は古来から、植物染料を好んで色として用いてきていることでもわかる通り基本的には自然の色を色としてとらえている。この自然の色は時の流れに応じて移っていくことはいうまでもなく、その営みは日本人の感性に深く定着しているといえる。例えば一年のうちにも四季の推移に従って色は移っていくもので、春のみどりは夏には深みをまし、秋には更に黄葉し、又冬になると枯れて色を落としていくのが常である。この間にある様々な色彩の推移は日本の各時代の志向にも結びつく面も多い。ことに中世から強く表われる“わび”、“さび”の精神に表われる色彩感覚などは、あたかも冬枯れの季を表わすもので光をおとした陰影の深まりを示すような色彩感を表わすものといえる。また、色彩の推移は一つ一つの日本の表現美の中にも随分生かされているのである。

 

 

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