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先日、読売展で入賞させて頂いた折、記者の方から、「どんな書をめざしているのか。」とか、「何故かなを専攻しているのか。」……などの質問を受けた。日頃はたいした考えもなく、その場その場の感情に流されながら書作しているので、とっさの場合にて答えに窮したが、どうしても答えねばならないので、ついつい「日本人なので日本人の感性に根ざした書の美の美しさを求めたい。」と一寸かっこうをつけていってしまった。その場はつっこんだ質問もなかったので、何とか難をのがれたが、考えてみると、日本人の感性に根ざした書の美といっても一体どんなものか本当は自分にも説明のつかないわけのわからないものなのである。私自身、心の奥底では、微妙なものの感じ方や考え方が何となくあるようにも思えるのであるが、これも頭の中でゆれ動いているだけできわめてあいまいなものである。
日本人のものの考え方や美意識は神代の昔から現在に至るまで幾多の変転を加えながらその根底では息づいてきたはずである。しかし、いざ特定するとなると、明らかにできにくい複雑さがある。ことに日本人は、古来から外国の文化を常に摂取しながら変貌をとげてきたきらいがある。古くは朝鮮、中国、インド等の大陸文化が流入してきて日本文化の骨格の中にでんと坐ったり、後にはヨーロッパ、アメリカの文化が日常生活の末端にまで浸みこんで質をかえてきたといえる。また、思想的にも仏教や儒教などが、日本人の精神構造の中で大きなウエイトをしめるとともに、後にはプロテスタンティズムなどの新しい波も日本人に大きな影響を与えてきた。このように外来文化や思想を我国の文化や芸術を巧みに摂取し続けてきたので、その質も大変複雑で多様なものとなっている。
しかし、日本人は単に外来文化をそのまま模倣したのではなく、常に日本人なりの受容があったと考えられる。日本人は文化や芸術に対しては、ことに民族的偏見を持たずに素直に受け入れる豊かな抱擁力と旺盛な好奇心を持つが、それは、感性の鋭敏さによるものであろう。論理的に頭で考えて理解する傾向が強ければ強いほど、異質なものの受容は大変困難をともなうが、感覚でとらえていく場合は受容が容易である。日本の歴史を考えてみると、やはりこの後者のとらえ方が比較的強いと考えられる。日本人の特有の感性をもとに摂取された文化や芸術は、更に、日本人の豊かな情感によって微妙に消化、洗練されていったと考えられる。
先年数回訪中する機会があったが、同じ文字の国でも随分その違いを肌で感じたものである。大陸に比べて日本はやはり情的傾向が強いとはっきりいえるだろう。